行学寮の歴史

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行学寮縁起

 当寮の歴史については資料が無いので不明だが、明治30年代に身延山久遠寺祖師堂付近に、トタン葺きの鶯谷寮という教場と寄宿舎がありその後、西谷の地に仮寄宿舎として移転したが、昭和六(1931)年頃には老朽化が進み、改築を余儀なくされたが、名古屋市圓頓寺住職平賀宝粲(唯妙院日良)上人が約壹萬円を寄付、東谷智寂坊の地と交換して新規寄進された。

 昭和八(1933)年4月12日に落慶式を行い、当寮ではこの日を創立記念日としている。

 寮名の『厚徳寮』は平賀師が亡令室、厚悳院妙恂日馨善女(俗名・三室市 昭和6年12月3日没)の菩提を弔う為に寄進されたので、院号より命名された。当寮では、平賀夫妻を開基檀越として日々御給仕申し上げている。

 太平洋戦争中学院生は、学徒出陣で戦場に送り込まれ、もぬけの殻になった寮は軍事工場(現・県立身延高校)で働かせた人々が使用し、荒廃していく。その後、歴代の舎監、寮生の尽力によって復興されていく。昭和30年代には、久遠寺の大法要を担当し、街頭布教、行脚等を行い行学二道に精進していた。昭和48年(1973)年8月に老朽化した寮舎を新築。

 その際、学僧は行学二道に励まなくては、という考えから『行学寮』と改称した。平成7年4月、短期大学から4年制大学に昇格し、現在に至る。

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